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「諦める」とは「明らかに見極めること」

こんばんは。主婦ももこです。意味深なタイトルにしました。このこと、書こうがどうしようか悩みましたが、たまたまニュースにもなり、当時のことを思い出したので思うことを書きます。たぶん、もしかしたら同じ悩みの人もいるかもと思ったからです。

目次

「諦める」ことは時に大事

新型コロナ感染拡大の恐れより、日本生殖医学会から不妊治療の延期声明が出されましたね。これにより、不妊治療をしている人たちは延期してしまい、焦っている女性も多いいのではないかなと思います。実は私もかつて不妊治療していました。

治療をしたことがない人は「何それ?」という感じかもしれません。実際にパート先で言われたこともあります。でも本当に先が見えなくてこの治療は辛いものがありました。私の場合はそこまで長く治療してませんでしたが、一時期、パート先と婦人科と両立してやっていました。正直まさに地獄というかホントに大変でした。

そもそも結婚が遅かったのですが、このことについて知識が全くなかったので深刻には受け取っていませんでした。

しかし治療しても結果が出ない・・・・

お金もない、治療費も払えるかわからない、でも諦められない、待合室では何時間も待たされ、結果はどうなるかわかりません。

何より一番のストレスは仕事ととの両立でした。

そして治療をして1年経過した頃、婦人科の帰り、駅のホームで「このまま続けるべきか、それとも諦めるべきか」悩みました。

正直この治療は自分でやめどきがわからなくなります。“もう少しやればもしかしたらできるかもしれない。”そう思ってしまうのです。

でも冷静に考えてみると確率の問題で、できるかもしれないしできないかもしれない。そして自分の努力ではどうにもならない世界。

ただ、私はこの時、「もうやめよう」とこの治療に終止符を打ちました。

「もっとあなたらしく生きて」

そしてこの治療をやめたきっかけに、母の言葉があります。

仕事と治療で精神的にも肉体的にもボロボロだった私に母はこういいました。

「お母さん笑顔が見たい。こんな辛そうな○○見たくないよ。子供だけが人生じゃないよ。もっと違う未来があるよ。○○ならできる。お母さん信じてる。○○らしく生きてほしい。人生もっと楽しんでほしいよ」

母は目に涙を溜め、こういいました。

この時のことは今でも忘れられません。

「諦めること」で違う選択肢が手に入った

今でももしあの時諦めなかったら、できたかもしれないと思うことはあります。

しかしあの時諦めたから、今の自分が手に入ったとも思えます。

諦めるとは物事を明らかにするという意味もありますが、そして「明らかに見極める」という意味でもありますね。

この治療は果たして今後続けて意味があるのか、自分にとってどうなのか、見極めること。

その結果自分の努力ではどうにもならないいうことに見切りをつけました。

人生は選択の連続ですが、この選択が正しかったかどうかなんてわかりません。

でも、結果的には今、予測もしないような未来を手にすることができ、自分ではこれでよかったと思っています。

まさか自分がこのようになるとはこの時思ってもいませんでした。

一方で子供が欲しかった主人には悪いな、ごめんねという気持ちもあります。

しかし私は今笑顔で自分らしく生きていくことができています。

何が言いたかったか、それは今何か迷っていることがあったら、それは転機かもしれないってこと。

諦めない先に、自分を確実に笑顔にするものが見えるならやるべきだし、そう思えないなら見切りをつけることも大事かなと思うのです。

その決断には「勇気」が入ります。何かの未来を捨てるということだから。

でも何かを「捨てる」ことで何かが「手に入る」のです。

しんみり~しちゃいましたが、今何かに悩み、戦っている人に伝えられたらと思って。

誰かの役に立てれば幸いです。

 

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